十二宮の意味 甲級主星(十四)
甲級副星(十五) 乙級副星(十)

紫微斗数・概要

 紫微斗数とは、出生時間から、北斗、南斗、中天に存在する星をもとに仮想の天体、虚星を使用した、中国発祥の星占いのひとつです。
 東洋占術も、易や四柱推命や寄門遁甲や九星気学や風水など、色々ありますが、今回紹介する紫微斗数は、日本では認知度も低く、あまり流行っていません。しかし、本場、中国や香港や台湾では、その高い的中率により人気の占術のひとつになっています。特に台湾では大ブレーク中の占いであります。
 実際に紫微斗数を使ってみた私の感想は、システム自体は他占術と比べるととてもシンプルですが、的中率はかなりのものがあると感じました。
 紫微斗数の起源は世紀八六七年、中国の宋の時代に河南省・真源に生まれた陳希夷(ちんきい){ 陳摶(ちんたん)}という人が体系づけをし、誕生させたと言われています。
 宋の時代ですから、今から約千年ほど前と言うことになります。
 陳希夷という人の生涯や人物も神秘的で謎に包まれています。幼少の頃に両親と死に別れ、四歳くらいの頃、洛陽の渭水湖畔で遊んでいるところをどろからともなく現れた青い服を着た美しい婦人が引き取り、陳希夷を二十五歳の立派な大人になるまで育て上げました。青い服を着た婦人は男の子が立派に成長したのを見届けると、昔の美婦人のままの姿でどこかへ去ったといいます。
 陳摶はその後、道教の武当山に入山し、それから二十余年にわたり「服気辟穀(ふっきへきこく)・導引術(どういんじゅつ)」の修行に熱中しました。
 導引術を修めた陳摶は、導引術の太祖となり、九八四年に宋の皇帝・太宋帝に召されて「希夷先生」の称号を賜りました。以後「陳希夷先生」と称せられて百十九歳まで長生きしました。
 紫微斗数で使用する主な星たちの由来は、紀元前十一世紀頃の殷王朝の滅亡と周王朝の勃興という史実を元に、脚色されて作られた神話「封神演義」に登場する英雄、豪傑、智将、妖怪、妖精、奸臣、女神、夫人、皇后などがモデルになっています。中でも有名なのが「周の太公望・呂尚(りょしょう)」でしょう。みなさんの中にもご存知なかたもいらっしゃると思います。
 下が紫微斗数の命盤になります。

紫微斗数命盤

 星にはそれぞれの宮に入ることによって輝いたり暗くなったりする作用があります。それらの輝きは、廟、旺、得、利、平、不、陥の七段階に分けることが出来ます。輝きの力は下記のとおりになりなります。

☆(廟)=最高の輝き◎(旺)=強い輝き○(得)=弱い輝き□(利)=普通の輝き
△(平)=やや暗い●(不)=かなり暗い★(陥)=真っ暗な状態 

 星の輝きは吉星の場合と凶星の場合では働き方が少し違ってきます。
 吉星の場合、輝けば輝くほど吉の効果は強くなりますが、真っ暗な状態の陥になっても別に凶意は無く、そのかわり、吉の効果もなくなってしまいます。
 凶星の場合、真っ暗な状態の陥などになると、その凶意はより強められますが、廟などになり輝くと、その凶意は消えてしまいます。
 大限と少限に関しては、大限は十年単位の運気をあらわし、年齢の記入されている宮の意味とそこに入っている星が十年間を支配します。
 少限に関しては、一年単位の運気をあらわし、年齢の記入されている宮の意味とそこに入っている星が一年間を支配します。
 記入されている年齢は、通常、我々が使っている満年齢ではなく、数え年になっていますのでご注意ください。
 数え年とは、生まれた時点で一歳となり、誕生日に関係なく、旧暦の元旦が来た時点で全員共通して一歳加算されます。我々が今使っている満年齢は、生まれた時点で0歳、誕生日が来るたびに一歳づつ年をとりますので数え年より一歳若くなっています。つまり、満年齢を数え年に直すには、我々の場合、旧暦の元旦に気をつけて一歳足せば数え年になります。
 紫微斗数の概要はざっとこんな感じです。紫微斗数に限らず、すべての占術には一長一短があると私は考えていますので、あらゆる占術を駆使すればより間違いのないリーディングができると私は思っております。

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